「手法としての映像」班

統括班からの期待

  • 「手法としての映像」班は、映像を用いて現代における宗教復興現象の解明を試みるとともに、その研究過程を通じて映像を用いた地域研究の方法を検討することを目的としています。これと同時に、「映像の大衆化の時代」における社会と映像のあり方を提示することも期待されています。
  • 現在、映像による情報のやり取りは一部の専門家に限られたことではなくなりつつあります。この状況がさらに進むと、組織内の意思決定において、映像が文書に並ぶほどの重要性を与えられる時代が到来するかもしれません。
  • 今日では、多くの社会で組織内の意思決定に重要な役割を担っているのは文書であり、それを取りまとめる書記が大きな力を持っています。かつては世界各地に支配層しか読み書きが認められない社会がありましたが、人類社会は誰もが読み書きを学べる方向に進んできました。「映像の大衆化」がこの動きにどのような影響をもたらすのかはたいへん興味深いところです。
  • すでに多くの人に指摘されているように、映像は完全に客観的な情報を伝えているわけではなく、そこに作り手の意図や認識が反映されています。それに加えて、映像には作り手が意図するもの以外の情報が織り込まれる度合いが高いという特徴もあります。そのため、文書では書く技術と読む技術がほぼ裏表の関係にあるのに対し、映像では作る技術と「読む」技術が別に発展することがあるかもしれないと思います。

プロジェクト名:

研究目的:

メンバー:

関連リンク: