カラムについて

『カラム』とエドルス(アフマド・ルトフィ)

『カラム』(Qalam)は、1950~69年にシンガポール(後にマレーシア)で刊行されていたマレー語の月刊誌です。創刊から停刊まで、記事は一貫してジャウィで書かれていました。

カラム』の特徴は、マレー世界におけるムスリムの政治運動の「空白期間」を埋める資料であることです。マラヤでは20世紀初頭の独立準備期にイスラム主義を掲げる政治団体がいくつか結成されましたが、それらのほとんどは1950年までに非合法化され、指導者は投獄されたり国外に退去したりしました。​従来の研究では、これによりマラヤ(後にマレーシア)のイスラム主義政治運動はいったん姿を消し、1970年代にダクワ運動によってイスラム主義運動がマレーシアにもたらされたとされています。このように、1950年代と60年代はイスラム主義運動の観点から研究の空白期になっており、『カラム』はこの時期のマラヤ/マレーシアのムスリム社会のあり方を知る貴重な資料です。

『カラム』のもう1つの特徴は、『カラム』が民族や国境を越えてムスリム社会をつなごうとしていたことにあります。これは、『カラム』の発行者・編集者であるエドルス(Edrus)の経歴と密接に関係しています。

エドルスは、1911年にカリマンタン島でアラブ系ムスリムである両親のあいだに生まれ、民族の区別によらずムスリムはみな同胞であると教えられて育てられました。しかし20世紀初めのマレー世界で民族意識が高まり、同じムスリムでもアラブ系と原住民系は一緒ではないとの見方がされるようになりました。

これに対してエドルスは、民族別の同胞意識ではなく宗教に基づいた同胞意識を育むよう『カラム』誌面を通じて呼びかけました。マラヤ(現マレーシア)とインドネシアは独立以降は政治的にそれぞれ別の道を歩みますが、その裏で民族や国民の違いによらずに宗教による同胞意識を訴え続けたのが『カラム』でした。1956年にシンガポールでムスリム同胞団が結成されると、『カラム』はその事実上の機関誌となります。

なお、『カラム』の創刊者で編集者であるエドルスは、アフマド・ルトフィ(Ahmad Lutfi)の名前で知られていましたが、アフマド・ルトフィはエドルスのペンネームの1つであり、しかもエドルスの息子の名前から取ったものであることがわかっています。そのため、『カラム』の創刊者を本研究会ではアフマド・ルトフィではなくエドルスと呼んでいます。