研究会の記録(上智大・第1回研究会)
- 日時:2009年6月26日(金)午後5時半~8時
- 会場:上智大学2号館5階510教室
- 共催:上智大学アジア文化研究所
内容
司会:西芳実(東京大学大学院総合文化研究科「人間の安全保障」プログラム)
話題1:山本博之(京都大学地域研究統合情報センター)
「研究を通じた現実社会との関わり」
話題2:柳澤雅之(京都大学地域研究統合情報センター)
「地域研究の客観性を考える」
話題3:福武慎太郎(上智大学外国語学部)
「研究と実践の関係を問い直す──上智アジア学の歴史から」
趣旨
地域研究はさまざまなバランスの上で成り立っている営みです。その1つが研究と実践のバランスです。現実の社会と不可分の関係にある地域研究では、研究を行うだけでなく社会活動に積極的に関わる研究者も少なくありません。ただし、ときに研究と実践の境界があいまいになり、どこまでが研究でどこからが実践なのか迷うことがあるかもしれません。あるいは、地域研究者以外の研究者にも受け入れられるような地域研究の研究成果とはどのようなものなのかと迷うことがあるかもしれません。
これらの迷いは、地域研究のあり方を考える上で避けられない重要なことがらです。ただし、「研究と実践」だけをとっても地域研究にはさまざまな考え方があり、地域研究者どうしで意見がまとまらないことも珍しくありません。それは、人によって地域研究に抱くイメージが異なり、統一された地域研究の姿を私たちが描けていないためです。
このことは、地域研究という営みが実体のないものであることを意味しているわけではありません。その逆に、地域研究がいろいろな人々によって行われ、いろいろな方面に発展していることを示しています。「地域研究」という名前でさまざまな営みが行われており、そこにいくつかの方法を見出すことができます。私たちは、それらの方法を個々の地域研究者の「名人芸」とすることなく、うまく取り出して次世代に継承可能となるように言葉で表現する方法を考えたいと思っています。
もっとも、一口に地域研究と言ってもその中身は多様なので、地域研究としてどのようなことが行われているのか、地域研究にはどのようなことが期待されているのか、地域研究を行っている人たちはどのような課題を抱えているのかなどがわからないと、地域研究について考えても的外れになる可能性があります。この研究会では、地域研究に携わっている国内の大学を訪れて、地域研究の現場にいる教職員や学生と意見交換を行うことを通じて、地域研究の多彩な姿を捉え、地域研究について考える共通の枠組みを作りたいと思っています。
第3回研究会は上智大学で行います。この研究会はどなたでも参加できますが、地域研究に携わる大学院生や若手研究者の参加を特に歓迎します。
報告要旨
- 「研究を通じた現実社会との関わり」(山本博之)
地域研究の特徴の1つに現実社会との関わりがあります。ただし、現実社会との関わりとは、現在身のまわりで進行中の社会問題に目を向け、解決の手を差し伸べることだけとは限りません。地域研究は、研究という立場に身を置いて社会の諸課題に関わろうとする態度です。「研究者が実践もする」のではなく、「研究を通じて社会と関わる」というあり方について考えます。
研究者は論文を通じてお互いに議論しています。一見すると研究対象について議論しているように見えても、それと同時に、研究者が共有する現実社会の課題についても議論していることがあります。この報告では、東南アジアのナショナリズム研究を素材として、ナショナリズムが世界的な課題だと考えられていた時代に研究者たちが研究を通じてその課題にどう取り組んできたかを紹介することで、「研究を通じた現実社会との関わり」について考えたいと思います。
- 「地域研究の客観性を考える」(柳澤雅之)
厳密な客観性と再現性が求められる自然科学の研究者が、地域ごとに状況が異なり事象の再現性もきわめて少ない地域社会の研究をどのように進めてきたのか。本報告では、自然科学者による地域研究を題材にして、地域研究の「科学」性の検証を通じた地域研究の方法論を考えるというアプローチをとる。現実社会の客観的理解と主観的理解、歴史的・地域的に生起する事象の再現性と特殊性、研究の普遍性と地域の個別性という二項対立を超えて地域研究を推進するためには、地域研究者が地域理解のために援用する学問分野間の整合性をとること、さまざまな学問分野と地域社会の論理の整合性をとること、地域社会をより広域の社会の中で相対化することが必要であることを論じる。さらに、研究の普遍性と地域の個別性を理解した上で、地域研究の成果を地域社会に還元するときの課題を考える。
- 「研究と実践の関係を問い直す──上智アジア学の歴史から」(福武慎太郎)
上智大学出身のアジア研究者やNGO関係者の源流をたどると、ベトナム反戦運動と鶴見良行の「歩くアジア学」がみえてくる。そこには常に研究と政治的実践(運動)のあいだの揺れが存在していた。アジア文化研究所の設立から26年、地域研究専攻
の設立から12年、鶴見の思想に影響を受けたアジア研究者やNGO関係者のなかで、また現在の大学院教育のなかで、鶴見の思想はどのように引き継がれているのか(もしくは引き継がれていないのか)、私論を試みたい。
質疑応答・討論
鶴見良行とその研究について
- 福武報告で「ベ平連世代にとってアジアに関わることはあたりまえだった」と言っていたが、これは違う。1969年から70年ごろに小田実が「われわれはベトナム、ベトナムというがベトナムについて何も知らない、この前ベトナムに行ったらフランスパンを食べていた」と自己批判した。当時の日本にはほとんどベトナムの情報がなかった。投資が出ていくのは1970年代以降。小田は代ゼミでアジア大学という市民講座を始めて、そこに東南アジアに関わる人ならどんな人でも呼んで何でもやろうということになり、これではじめて中国・韓国朝鮮とインド以外のアジアへの関心が始まった。京都では自分(寺田勇文)とダグラス・ラミスと中尾ハジメの3人が1971年に東南アジアの勉強会を始めた。それ以前はアジアといっても何も知らないという世代だった。ベ平連といっても1970年ごろまでは地域の概略を何も知らなかった。
- 鶴見良行は書くことと実践との隔たりについて自覚的だった。鶴見良行は躊躇しながら試行錯誤で書いていた。鶴見良行の関心は日本にあった。東南アジアの歴史などを勉強することで単一民族国家と言われていた日本を相対化してアジアとどう付き合うかを考えて東南アジアを歩いた。現地の運動とアプリオリにつながっていたということではない。自分が大学院の時に国費でフィリピンに留学することになり、鶴見俊介が送別会をしてくれたとき、鶴見俊介に「寺田さん、フィリピンに行ったら向こうの運動とかそういうのには関わらず日本人留学生としてじっくり見てきてください」と言われた。実際にはマルコス政権下で運動に関わる余地もなかったのだけれど、確かにそう言われた。最近本人に会ってそのことを話題にしたら覚えていなかったけれど、でも確かに言われた。鶴見良行にも同じことを言われて、一生付き合えるような友人を作ってこいと言われた。これは今の人類学でフィールドに行く前の学生に言うことと同じこと。
- 鶴見良行の著作への批判について。もともとアカデミズムの訓練を受けておらず、鶴見の著作に対して学術的観点から批判があるのはもっともなこと。鶴見は英語はとてもよくできたがそれ以外の言葉はほとんどできず、インドネシア語が少しできる程度で、それも旅をする途中で学んだ程度だった。そのため一次資料を使った優れた研究者の仕事に頼って執筆していた。金があったわけではなかった。朝日ジャーナルという雑誌に「マングローブの沼地で」を連載していたが、すでに頭の中にあるものを書いたのではなく、勉強しながら1ヵ月ぐらい先の原稿を書いていた。掲載した後に読んだ本の内容をもとに書き直したりして、本にするときに全面的に書き直した。だから連載当時の原稿と本になったものは中身が違っている。それに対して引用のしかたが適切でないなどと学者の指標で批判する人もいるが、これは鶴見の良い面を正しく見られる批判ではないのではないかと思う。
上智大学の地域研究
- この研究会では既存のディシプリンに対して地域研究を中長期的にディシプリンとすることを掲げているのか、地域研究を新たなディシプリンとすることを考える時期に来ていると考え、それを目指しているのか。
すべての地域研究者に共通の方法があるかどうかはわからないが、地域研究を行っている人たちのあいだで共通する方法は確かにある。それを取り出して整理し、言葉で記述して提示することには意味があるし、可能なはずだというのがこの研究会の当初の意図。方法は複数あるかもしれないけれど、いくつぐらいにまとめられるのか、それをどのように取り出せばいいのかなどを考えたいと思っていた。その思いは今も少しも変わっていないけれど、地域研究をディシプリンと呼ぶのかについては少し考え方が変わってきている。もともとは「地域研究のディシプリン化」と考え、そのように言ってきたが、既存の学問的ディシプリンには事例研究という意味で「地域研究」と言っているところもあるので、そのような関わり方の研究者も取り込んで地域研究の多様さを維持・発展させるためには「地域研究をディシプリンに」と積極的に言わない方がよいのかもしれないと思うようになった。(山本)
この研究会を始めた当初、私自身は、地域研究には明示的な方法論がないと思って参加していた。その背景には、地域研究を行う研究者の広がりの変化がある。1990年代以前、京都大学東南アジア研究所(センター)では、地域研究方法論について多数の議論の蓄積があった。当時、私自身も、東南アジア研究所的な地域研究方法論があると思っていた。しかし、1990年代以降、地域研究の名前を冠して行われる研究や地域研究の関連分野が多様化し激増した。地域研究を冠する研究が拡大すると同時に、地域研究を冠していないが地域研究的な研究が拡大した。既存のディシプリンの中にいるが、地域研究的な研究の拡大である。これが90年代以降増加し、地域研究全体を見た場合、そうした地域研究も積極的に取り入れた地域研究を展開すべきであると考えるようになった。そこで、この地域研究方法論研究会が始まった2007年の段階では、全体を貫くような地域研究方法論はまだ見当たらないが、地域研究の広がりの中でも通用するような、従来の東南アジア研究所的な地域研究方法論と異なる地域研究方法論を考えるべきときにきていると考えた。(柳澤)
自分は修士課程までは文化人類学を学んでおり、地域研究になったのは博士課程から。自分ではずっと人類学をやっていると思っていた。ただし、就職して同僚に歴史学や実践的活動などさまざまな背景を持つ人たちと場を共有するようになって、そうした人たちとの議論から得るものは大きかった。文化人類学を相対化することもできたと思う。(福武)
- 上智大学の大学院ではディシプリンと地域のセットという形で授業をしている。
上智大学での地域研究の教え方はどのようなものか?(山本)
- 修士課程の時の自分の経験から。上智大学の大学院には必修として地域研究方法論と地域調査方法論がある。それぞれ前期と後期で別々の講義だけれどあわせて1つの流れになっていて、1年で完結する。地域研究方法論では、地域研究とはどういうものかあまり決まっていないという話から始まり、どういうものが必要だろうかと問われて戸惑った。その後、各教員がディシプリンごとに研究内容を話してくれた。文献の探し方なども教わった。自分の思う地域研究とは何かについてのレポート提出があった。地域調査方法論では、各教員がディシプリンごとにそれぞれ調査の方法を話した。フィールド調査における倫理も学んだ。教員は専門ごとに教えるが、話自体は地域の話だった。
- 上智大学では既存のディシプリンと地域研究を分けて提示するのが特徴。地域研究方法論で実際にどう教えられるかはコーディネーターしだいだが、とにかくディシプリンをまず1つ身につけることと、1つの地域とどう関わるかを教えている。
- 地域研究方法論の授業ではラテンアメリカ研究やアジア研究などの地域ごとの地域研究の歴史も教えていた。地域調査方法論ではメソッドを中心にしていた。担当教員の得意とするメソッドの経験談や失敗談を事例として紹介したりした。
- ゼミの構成は必ずしもディシプリンで構成されるわけではない。担当教員の専門とする地域ごとに学生が集まる傾向があるが、同じ地域でも複数の教員がいる地域は地域とディシプリンで選ぶ。地域とディシプリンでゼミを2つぐらい掛け持ちしている学生もいる。
- 日本の地域研究の第一世代は地域研究とは何かを必死に考えてアメリカを参照した。アメリカではSSRCという機関がアメリカの大学に地域研究を取り入れるべきだとしてworld areasという考え方を出して、世界の諸地域を分けて考えるということをしていた。その約15年後にアジア経済研究所や京大の東南アジア研究センターが作られた。ただし今の学生はそのころと環境が大きく変わってきていて、現地語習得、インターディシプリナリー、フィールド調査などは当たり前のことになった。
- 上智大学には上智アジア学と違う地域研究もある。上智大学では学部は語学科に重点があり、語学と地域が両輪となっている。語学の地域に対しては政治経済や歴史社会文化などいろいろなものを持ち込んで学ばなければならない。市民的な感覚を持ってもらいたい。外国語として知っているよりも深いレベルで知ってほしい。大学院の地域研究とはかなり違う。学部での地域研究は日本でかなり必要とされているのではないか。
別の機会に地域研究方法論研究会について話題が出たことがあり、そのときに大阪大学では学部でも地域研究の授業をしているというお話を伺ったことがあった。この研究会で扱いきれるかどうかは別にして、大学院レベルでの地域研究のあり方と別に学部での地域研究のあり方を考えることも重要だと思った。(山本)
- 上智大学では各語学科で『地域研究のすすめ』という本を出している。例えばポルトガル語科ではポルトガル語圏についての『地域研究のすすめ』を出している。リサーチのしかた、レポートの書き方、プレゼンのしかた、調査における倫理の問題などが盛り込まれている。学部のみで大学院では使われていない。
NGOと地域研究
- NGOは学問のことをどう思っているのか。研究者が現場に行くことがあるとしても、実務にとってはしょせん研究者であり外部の人であると見られているのではないか。それをどう自省的に克服していくのか。
- 地域研究は評論家集団としてではなくNGOとの連携をどうはかるのか。NGOと地域研究がお互いにバラバラでよいのか。
現時点でNGOの実務者は、単なる現地事情についての情報提供者として以外には、支援事業において地域研究者にそれほど期待しているわけではない。それは地域研究そのものの認知度が低いことも原因のひとつであるため、山本さんと西さんは、いかにしてNGO関係者に地域研究の実践的活用の有効性を知ってもらうか、ということをこの研究会の課題の一つとしていると私は理解している。(福武)
自分の限られた経験から。研究者が現場でNGOなどの実務家と連携することは重要だと思っているけれど、そのためにどうすればうまくいくかは難しいと思っている。以下、3つの話をする。1つめ。2004年のスマトラ沖地震津波のとき、被災地を研究対象に含む地域研究者として、アチェ研究者の西芳実さんと日本の支援団体をいくつか訪ねて、アチェで津波被災が集中しているのは西海岸と州都だけれど、紛争地であるアチェの歴史や政治経済を考えると外部との物流の拠点である北海岸も支援の対象にしてはどうかという話をしたことがある。しかしその意見が現場では全く聞き入れられなかったことを後で知った。どうして聞き入れられなかったのかが知りたくて、それ以来今まで人道支援業界の人たちを交えた研究会などに参加して、人道支援と地域研究の連携について考えてきた。そこでわかったのは、大手の支援団体にとっては一研究者の意見に従うのはリスクが大きく、大学や学会などの組織としての意見なら従うが、そうでなければ国連機関や外務省の情報をもとに行動するという考え方だった。責任のあり方という面で、大きな支援団体の本部では研究者をうまく位置付けられないということのようだ。2つめ。それほど大きくない人道支援団体では、研究者に対して比較的好意的なところもある。災害発生直後の初動調査に地域研究者として実務家と一緒に現地入りして合同調査したことがある。移動の車の中では被災や支援と直接関係ないものを含めて目に見えるものをあれこれ口に出して解説してみたりしたし、合同調査の際に得られた「地域のかたち」を帰国後に解説すると、地域研究者の視点を入れることは大切だという認識が育っているような印象を受ける。ただし、地域研究者の知見を実際の支援プログラムにどう反映させるかという部分で話が止まっている。人道支援団体は地域研究者に責任を負わせようとするし、地域研究者は支援プログラムは支援団体が責任を負って進めるべきだと考えるため。3つめ。現場のスタッフのあいだでは、自分たちの事業がより大きな観点からどのように位置づけられるのかがわからないので目の前のことに対応することしかできないのが大変だという話をどこでも聞くため、事業サイトを含む地域の歴史文化や政治経済などを踏まえた上で支援事業をそこに位置づけるような説明を与えるという点では研究者が求められているように感じた。(山本)
国際関係論と地域研究
- 福武報告で「上智アジア学」という言い方をしている。ある意味でいいことだとは思うが、外部の人から見るとヘゲモニー的に見えるかもしれない。国際関係論から見ると地域研究者と互いにコミュニケーションを取れているのかがわかりにくい。地域研究者の目に国際関係論はどれだけばかばかしく映るのか教えてほしい。
今や東南アジア研究はかつての人気を失っている。楽勝科目でなければ誰も受講しないかもしれないとさえ思う。むしろ国際協力や開発の方が学生にはアピールする。(福武)
私自身は、国際関係論、特に東大駒場の国際関係論に大きく影響を受けている。この研究会で地域研究の教科書を作ろうと思い、地域研究の方法は5つか6つぐらいにまとめられるのではないかと考えたが、これは東大駒場の国際関係論の教科書を見ていたから。また、ものを見るときのレンズの話など、国際関係論の先生方から学んだことは研究の基礎となるものであり、地域研究に進んだ後もなお大きな影響を受けている。このこととは別に、個別の国際関係論の研究発表を聞いたり論文を読んだりすると、特に自分が関心を持っている地域に関するものについては、自分が考える「地域社会のリアリティ」からはかなりかけ離れているとの印象を受けるものもないわけではない。その研究にリアリティがないというつもりはなく、自分の関心に沿ったリアリティとは異なる位相でのリアリティがあるのだろうし、そのようなリアリティが役に立つ場面もあるのだろうが、国際関係論の研究には自分が受け止めて評価するのが難しいという印象を受けるものがあることは確か。もっとも、これは国際関係論に対してだけでなく、地域研究を含めて研究論文全般について感じることもある。(山本)
ベトナム研究について言えば、国際関係論がらみのベトナムに関する論文はだいぶスカタンが多いと思っている。トピックが持つ意味は国や地域やコミュニティで異なるのに、特定のトピックについて異なる地域のものを拾い出して単純に比較しているという印象を持っている。トピックのもつ意味は社会の文脈に照らして理解するべき。もし比較をしたいのなら、関係性どうしの比較、あるいはシステムどうしの比較をしてこそ国際関係論なのではないかと思う。(柳澤)
- 「関係性どうしの比較」とは具体的にどういうことか?
前回の早稲田大学での研究会では地域研究は政治学や経済学でやっていることとどう違うのかという議論が出た。どの学問分野でも、トップレベルでは研究のプロセス、分析、実証性の確保のしかたなどあまり大きな違いはないのではないかと思っている。しかしそれに至るプロセスは違っている。地域研究の特色をあえて挙げるなら、関係性の社会的文脈を常に意識的にみているというところなのではないか。たとえば村の中のいろいろな組織の比較。どの村にも農民会があるかもしれないけれど、それぞれの村における農民会の意味は違うのだから、A村とB村の農民会をそのまま比べても意味がないかもしれなくて、A村の農民会とB村の青年会を比べた方がいいかもしれない。村の構造や機能を理解しないとちゃんと比較できない。このことに自覚的なのが地域研究。ただし、A村の農民会とB村の青年会を比較する研究は評価されにくい。(柳澤)
外交と地域研究
- 今の世代の学生はNGOを就職先の1つと見ているという指摘があったが、政府機関を就職先と見ているという話が出てこないのが興味深かった。
NGOを就職先の1つとして見ている、という指摘は、以前はNGOはあくまでもボランティアであり生計を立てるための就職先として考えられていなかったことを念頭においている。しかし現在は、民間企業や政府機関と同様に、大学院修了後の就職先の1つとして考えられるようになった。当然、政府機関も同様に就職先の1つとして見ていると思う(福武)
- 研究者からの一方的な「持ち出し」は難しいという指摘に合点がいった。自分は外務省勤務で研究論文を執筆したりもしているが、その程度の原稿料を得るために自腹で資料収集するのはなぜかと同僚たちに不思議がられる。個人としてやっているので政策としては直結していない。なぜそれをやるのかと自問してきたが、柳澤報告の「研究者がアクターとなること」と逆のことが起こっていたのだと思う。
ご質問者は、研究とは別に自分の専門性を持ち、それを利用して研究も行うということになる。専門性は外交。一般の地域研究者にはできないこととして、現地社会の有力者に会えるとか、そこで見聞きしたものを公電の形で発信することができるとかいうことがあるはず。研究活動がこのような専門性とどのようにつながるのか興味深い。もう1つは、研究するだけでなく論文執筆という形をとっていることの意味。研究者の発信内容はちゃんと読めば実社会にとっても意義があることがたくさん含まれていると思うが、論文執筆という作法にのっとって書かれているため、一般の読者がそのまま読んでもわかりにくい部分がある。ご質問者は研究成果を論文の形でも発表しているということなので、論文の書き方の作法を身につけているということであり、したがって論文の読み方も身につけているということ。学者が書く論文をどのように読めばいいのかを外務省でうまく広めていただき、研究と外交がより密接に繋がるだろうと期待する。(山本)
「研究とアウトリーチ」
- 基礎研究およびそれを基にどのような学際研究、文理融合が地域研究のもとで可能か(必要か)といった議論と、NGOとの連携など地域研究の応用研究あるいはアウトリーチに関する議論が混在していたと思います。
- 地域研究のディシプリンとしての曖昧さが、研究とアウトリーチをごっちゃに議論することを可能にし、さらにはアウトリーチ活動=地域研究というイメージが全体として形成されていた印象を受けました。
研究を社会から切り離して、純粋に手法だけを取り出して行うことができる研究があるとは私は考えません。(ここで「社会」の定義を議論すると議論があらぬ方向に行きかねないので、研究者を含めた私たちが暮らしているこの社会と考えてください。)研究を社会から切り離すことができないというのは、研究を行う私たちが社会との関わり方の1つとして研究を捉えているためです。地域研究のディシプリンとしてのあいまいさということとは関係なく、どの研究分野でもそうだろうと思いますが、特に地域研究はそのことに対して自覚的であろうとするために常に意識され、したがって方法論を議論するときに常に話題にのぼるのだと思います。研究を社会の中においていったときにどこまで社会との関わりの部分をアウトリーチ活動と捉えるのはそれを研究自体から切り離しているためだと思いますが、私は研究をそのように捉えてはいません。議論がごっちゃになっている印象を与えてしまったとしたらそれは議論の進め方の問題なので、その点については改善していきたいと思います。(山本)
- 柳澤氏の発表にあったように、研究とアウトリーチを明確に分けて、「地域研究の方法論」を議論するほうが生産的であると思いました。
柳澤さんが毎回強調していることに「文系と理系」という二分法ではよくないということがあります。この2つを分けてお互いの違いを明確にした上で融合や連携を考えるのではなく、実はもとになっている考え方やそれを実現するための方法には共通性が高い点を積極的に見るべきだという意見だと私は捉えています。ただし、はじめから全てをつなげたものを見通して想像するのは難しいので、とりあえずは「文系と理系」という分け方をして議論を始めなければならないということがあるのだろうと思います。「研究とアウトリーチ」というのは、とりあえずそのような形で話し始めないとわからない人もいるという意味では有効な説明のしかたかもしれないと思いますが、最終的に向かうべき方向はそのような二分法に基づく連携ではないだろうし、今回の研究会に参加した人たちを含め、地域研究の現場にいる人はそのことを了解しているだろうというのが私のこの研究会についての前提です。これはもしかしたら「研究」の境界をどう捉えるかという問題と関係しているかもしれません。これについては「研究者の広がり」班でも扱っていますが、このような前提を含めていくつかの前提について、それをもとに進めていいかどうかを確かめたいために大学をまわって研究会を開催し、みなさんの考えを伺っています。ついでに言えば、柳澤さんの報告趣旨は、研究とアウトリーチを明確に分けるということではなく、研究者が他の業種や分野と関わる際にはそれが研究活動にとってメリットがあるというかたちになっていないと継続性がないという話だと私は理解しています。研究とそれ以外を明確に分けて、研究者がそれ以外の部分に対してサービスするという発想で捉えてしまうと話が逆になるように思います。(山本)
この研究会の進め方
- 東大の一回目に続いての参加ですが、自分の研究上の悩み、問題、進展が変化しているので同じ話を伺ってもつかみとったものや共感した部分が異なって有意義でした。
そう言っていただけるととてもうれしいです。この研究会(統括班)では大学をまわって研究会を開いていますが、各大学で第1回目にあたる研究会では、私と柳澤さんの2人はいつも同じ話をすることにしています。こちら側も参加者側もお互いのことがよくわからないため、まずはどこでも同じ話をしてみて、それを足がかりに反応を伺ったり討論したりして、お互いに考えていることを知ることが第1回の目標の1つです。参加者の関心がわかれば、できるだけそれに対応する形でその会場での第2回研究会を開催するというのがこの研究会の方針です。毎回同じ話と言っても味付けの部分は各会場の関心を想像して変えてみたりするのですが、それがうまくいかないとわかりにくいお話をしてしまうことになり、これについては報告者として反省すべき点だと思っています。私の報告内容は別にして、もともと会場ごとに参加者が異なるだろうと想定していたのですが、今回はありがたいことにご質問者のようなリピーターや他大学からの参加者が予想以上に多かったようです。研究会の最中にはそのことに気付かなかったため、なるべく学生の参加者に発言してもらおうと「上智大学ではどうですか」と呼びかけたのですが、かえって他大学からの参加者には発言しにくい状況を作ってしまったかもしれないと思いました。(山本)
- 今後、各研究班の研究状況を発表していただけたらと思います。
各会場の第2回研究会では各研究班の代表者を中心にお話ししてもらうようにしています。このような希望を教えていただけるととても助かります。この研究会ではもちろん対応できる範囲でしか対応できませんが、世の中に地域研究の方法論に関してどのような関心やニーズがあるのかがわかれば、何らかの力が働いて実現の方向に向かうこともあるだろうと思います。(山本)
参加者アンケート
1.所属・立場・年齢
- 所属
上智大学・大学院(3)
上智大学・グローバルスタディーズ研究科(2)
上智大学アジア文化研究所(1)
東京外国語大・地域文化研究科(1)
青山学院大学・文学部(1)
外務省(1)
記入なし(2)
- 立場
博士課程(1)
修士課程(3)
学部学生(1)
研究員(1)
国家公務員(1)
記入なし(4)
- 年齢
50代(1)
30代(1)
20代(4)
記入なし(5)
2.経歴
3.この研究会についての情報をどこで得たか(複数回答可)
- 学内のMLで(4)
- 教員から紹介されて(2)
- 友人・知人から(2)
- 地域研究コンソーシアムのメルマガで(1)
- 大学の掲示板で(1)
- 京大地域研のHPで(1)
4.どのような関心から研究会に参加したか
- 新たな知見を求めて。
- 地域研究の概要を知りたい。
- 地域研究の全体像をつかみたい。
- 先生方にとっての「地域研究」に興味がある。
- 「地域研究」を考えるという試みが面白いと思いました。
- 修士の1年次に受けた地域研究方法論の授業内容を1年次にはうっすらとしか理解できず、2年次になって自分の研究を進めてきた今、地域研究とは何かということをもう一度考えてみたかった。
- 研究の方法(ディシプリン)に関して迷い、悩みがあるため(外国語学部卒業のため)。
- かねてから地域研究の在り方について模索をしてきたため。研究と実社会との関わりというテーマ(山本先生)に関心を持ったため。
- 私自身が農学部出身だったので、「地域研究の客観性を考える」という報告に興味があり、参加した。
- 福武先生の授業に参加しており関心があるため。
- 主に東南アジアの地域研究についての研究会だったので。
- 来月から一年間フィールドに留学するため(調査を行なう予定)、方法論を学ぶことで少しでもフィールドでの調査を実りあるものにしたいと考えたため。
5.研究会に参加しての感想
- 地域研究に関する見方の様々な視点を知ることができてよかった。
- 途中参加だったが発表者ごとに地域研究に対する考察に特色があり、興味深かった。
- 様々な視点を知ることができ興味深い。しかし早い・・・(浅い)
- 地域研究の方法論について話し合う研究会というよりも、合評会という印象を受けた。
- 時間が足りません。学生がもっと発言したらよかった。
- 東大1回目のときは、出席者の簡単な自己紹介もあり、院生からの意見もかなり出ていたので、研究者と実務家と学生がともに学び合ういい雰囲気があったと思いました。でも今回は教員同士の意見交換が多く、何か学会を思わせるような、学生の入り込みにくい印象を受けました。おそらく時間もなかったことが、院生の意見を聞くことができなかった第一の理由だと察します。主催の先生方の意図とも多少ずれてしまったのではないでしょうか。
- 私見では、基礎研究およびそれを基にどのような学際研究、文理融合が地域研究のもとで可能か(必要か)といった議論と、NGOとの連携など地域研究の応用研究あるいはアウトリーチに関する議論が混在していたと思います。個々の発表が面白い議論に発展していく可能性があったのに比べて、上記の議論を、焦点を絞らないままに、最後の質疑応答時に同時に行ったために、議論の焦点がぶれ会全体として生産的でなかった印象を受けました。また、ひとりの聴衆という立場で参加した印象では、全体として地域研究のディシプリンとしての曖昧さが、研究とアウトリーチをごっちゃに議論することを可能にし、さらにはアウトリーチ活動=地域研究というイメージが全体として形成されていた印象を受けました。しかし、参加者の多くがまずは研究のスキルを身につけるべき修士の学生のようでしたので、こうしたことは危険な気もしました。参加していた上智大学の教員の方々もとまどっている感じがしました。柳澤氏の発表にあったように、研究とアウトリーチを明確に分けて、「地域研究の方法論」を議論するほうが生産的であると思いました。
- 東大の一回目に続いての参加ですが、自分の研究上の悩み、問題、進展が変化しているので同じ話を伺ってもつかみとったものや共感した部分が異なって有意義でした。
- これからも研究を続けて行こうと考えている身としては興味深かった。大学の地域研究専攻の先生たち全員に聞いてもらいたかった。
- 地域研究者どうしがディスカッションする際にどのような共通言語を用いて話せばよいか。特にエリアという共通舞台を離れた場合に興味がある。こういった日頃の関心を実際にパネリストの方々の議論を通じてみることができてよかった。
- 「地域研究」というものがディシプリンとしてあるよりは、ほかのディシプリンとあわせて研究する研究者に寄与するものであるというお話が面白いと思いました。
- 地域研究の研究としての成果、社会貢献にあたっての工夫やジレンマの「カンどころ」が理解できた。人(立場)によってその「カンどころ」は異なるが、なんとなく理解できる感覚を共有することができたように感じられた。NGOの運動における知のあり方についての指摘が興味深かった。
- 非常にバランスのよい研究会の内容であったように思う。あまりじっくり考える機会のない(しかし日常的に考えている)問題なので、集中してそのような時間をもったことがよかった。自分自身は学部時代「曖昧な」国際協力・開発の勉強の仕方を後悔し、疑問を感じて、それらとは距離をおいて、地域研究がやりたいという意思で大学院に進学した。大学院進学後から地域研究について勉強するのでよいのだろうか。学部時代の四年間こそディシプリン磨きにもってこいなのに。地域とであってディシプリンを磨きたい!と思ってしまった自分を反省しつつ、そんなことを考えた。
- 各研究班にはどれも興味があります。直接自分の研究テーマではありませんが、研究と実践、文系と理系の融合などは、自分の調査・研究につねに課題となって立ち現れてきます。とくに分野の異なる柳澤先生の自然科学研究のご報告から、大きな示唆を得ました。今後、各研究班の研究状況を発表していただけたらと思います。
- 文系と理系の橋渡しを期待する。たとえば文系の地域研究者がGPSを用いてある地域の地形と社会階層との関連を調査する場合、とくに外大が単科大学ですので理系の研究会があるとよいです。
6.地域研究について日頃感じていること/考えていること
- 実践(今後の自分の人生、仕事etc.)と研究の関わりについては悩んでいる。どれくらい自分が「まもられた」環境にいたいのか(=組織に所属したいのか)という気持ちと、既存の運動や団体や会社等に対して感じる気持ち(=組織に所属することで犠牲になること)のせめぎ合いがある。いかに客観的に論文を書くか、方法論それぞれの特徴や差がわかりにくかった。
- 名前ばかりが広く知られるようになっているが、その実態については不明/学際性をうたっているが2つ以上のディシプリンをバランスよく使って論じているものは少ない/なんだかわけのわからない「ごちゃまぜ(チャンプル)」的研究という印象がある。
- 他の地域、ディシプリンの研究者との交流の場が少ない。学部時代に特定のディシプリンを持っていなかったため、地域研究専攻に所属しながらどの手法・方法論を使うべきなのかがなかなかはっきりしない。
- 地域研究は現地に生かされてはじめて意味をなす。